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毎度突然にて恐縮ではありますが、

「時計とは、時刻を読み取る為の計器である。」

等と考えるならば、腕時計の「視認性」、
更に申し上げれば「判読性」なるものに
拘りを持つのは当然の事と思えるのでありまして、

すなわちここで言う「判読性」とは
何時何分何秒くらいか、
というのを如何に読みやすく表示しているかということであり、

要するにこれは文字盤上のインデックスと針の個々のデザインに加え、
その重なり具合がどうなっているのかに全てがかかっている、
となるのですが、

本当に道具として作られた時計は、
当然のようにこのあたりにちゃんと念が入っていたりするのでありまして、

例えば機械式時計の黄金時代に作られた高精度機に見られる、
不必要なまでに細かく、丁寧にプリントされたセコンドトラックの上を
これにキッチリと重なり合う鋭い秒針が見事にスイープして行く様を見つめるだけで
いわゆる興奮状態に陥ってしまう、

私はそんな困った奴なのであります。

判読性の高い顔は、精度の高さに対する自信の表れであり、
すなわちこれは、作り手の誠実さを表現しているようにも思えてしまう、

等と書いているうちに何が言いたかったか分からなくなってきましたが、
時計の本来の美しさとは、こんな処に現れるのではなかろうか、

名ばかりの時計達と本物の時計達との差は、
こういった処に滲み出るのではなかろうか、
なんて思う節もあるのではありますが、

例えばカルティエさんのように四角い時計を得意とするならば、
文字盤が四角いからと言って
針が四角くスイープする必要は確かに無いと思えるのであり、

更には古典的なバランス感覚を微妙に調整することで
絵も言えぬ個性とモダニズムを醸し出す手法というものにも
妙な説得力を感じてしまう事も確かに有ったりするのですが、

やはり私はどちらかと言えば古臭い考え方の方に心を奪われるのであり、
すなわち私は針の長さが異様に気になるのであり、
ブットイ針より繊細な先端を持つ針の方が好きであり、
時刻合わせをするときは長針を出来る限り正確な位置に合わせたい。
どこまで行っても困った奴なのであります。